備前福岡屋カネヒコ酒店

お酌

oshaku

お酌・・・我が国独特の文化と認知され「OSHAKU」と表記されるお酌。

 

清酒に限らず、ビールや焼酎を楽しむ場面でも見られるお酌。単に、酒を注ぐことが「お酌」であるならば、文化というには薄っぺらものであります。お酌には意味があり、礼儀作法があります。

 

家に帰り、ほっと一息・・・妻と晩酌。職場の上司・同僚・後輩と酒を酌み交わす。今では言葉すら無くなりかけている「道」に酒道というものがあります。酒道において手酌は、不作法にあたったそうです。裏返せば「手酌させてはいけない」ととることもできます。また、相手の好意を無下にしてはいけないということ。無礼講と言えど、和気藹々としても、周りに気を配る。「和の心」をもつ日本人独特の感覚です。話は反れますが、海外で日本人が職場の会議に遅刻した場合、「すみません」と周りに謝罪する行為が、海外の方々には理解できないという記事を読んだことがあります。海外では、「同僚もライバルであり、遅刻をすれば、そいつはスタートから出遅れただけであり、こっちは得しているわけだから謝られる筋はない」とのことでした。日本人の場合「和をもって貴しと為す」という価値観が遺伝子レベルで心に浸透していますので、有利不利というよりも、和・協調性・対等を重んじ「すみません」という言葉になるのだと思います。この和と対等といった価値観が、「お酌」という行為に現れるからこそ、日本独特の文化を海外から認知されるのではないかと考えております。

 

お酌とは酒を注ぎ、そして心を注ぐもの。酒は心です。妻を労い酒を注ぎ、夫を労い酒を注ぐ。酒を通して、心を通わせ和をつくる。心も和み、話も和む。素晴らしいことです。しかし、海外での遅刻の話でも分かるように、価値観が全く違う文化は、お酌をただ注ぐ行為ということではなく、礼儀作法だけでもなく、心の部分を海外に発信していく必要性を感じています。もちろん、遅刻した時になぜ謝罪をするのかもです。世界最古の国家として存続する日本の有する価値観というものは、多神教・文化の発展過程などをみても、非常にユニークなものです。

 

和食、清酒をはじめ多岐にわたり日本文化が海外から注目され、本当の意味で私たち日本・日本人のことを理解していただける良い機会であります。私たちが自国の文化を再認識するという意味ではいいことだと思いますが、メディアを見る限り表面上だけをみていてどこからきたもののようにブームだと騒ぎ立てるのは、やはり今の日本の感覚は、少しズレていると感じる今日この頃です。表面だけではなく、中身の心の部分を発信していくことが大切だと感じております。